『彼』との出会いは、ほんの偶然。
偶然で運命の。私の恋。
怖くて、たまらない・・・・・・
ここ何週間かのホグワーツは、大変な騒ぎだった。
ハリー・ポッターの部屋が荒らされ、
ハーマイオニー・グレンジャーとレイブンクローの女生徒が襲われ、
終いにはダンブルドア校長が罷免されたらしかった。
先生方は姿の見えない敵を恐れるように、私たちに決して外には出ないようにとおっしゃった。
だからすべての生徒がこの寮内にいるはずなのに、ジニーの姿が見えないのだ。
彼女は私を避けているらしく、話をすることができないでいた。
それだけではない。
ハリー・ポッターと、その親友であるロン・ウィーズリーも寮にはいないようだった。
ひどく・・・・・・ひどく胸騒ぎがする。
言いようのない不安に押しつぶされそうで、私はジニーの部屋の中を歩き回った。
ジニーの机が目に入るたび、私の中で何かがざわめくのだ。
いつもトムの日記が乗っていた机。
そのざわめきは、トムの部屋をあっさりと見つけられた時と感じが似ていて、私を不安にさせた。
トムとひかれあった私の魔力が今また何かを告げているのに、
私にはそれが何かわからないなんて・・・・・・くやしくて、辛くて・・・・・・トムに逢いたい。
皮肉でも何でもいいから、声が聞きたい・・・・・・
こんなにもトムに惹かれていることに、今さら気づくなんて。
どんどん高まっていく焦燥感に胸を焼かれながら、私はただ待つことしかできなかった。
いつのまにか、眠ってしまっていたようだった。
ふと誰かの気配を感じて目を開ける。
「トム・・・・・・?」
いちばん逢いたい人の名前が口をついてでたけれど、返事はなかった。
目の前に立っていたのは、ジニーだったのだ。
「ジ、ジニー! あなた・・・どこに行ってたの!?心配したのよ・・・・・・?」
「・・・・・・」
ジニーは悲しげにつぶやいた。
制服もその顔も、酷く汚れてしまっていて痛々しい。
それなのに瞳だけは、輝きをたたえて私を見ている。
出会った頃の恥ずかしがりやなジニーとも、最近の重い秘密に悩むようなジニーとも違う彼女。
「彼は・・・・・・死んでしまったの。ハリーが彼にとどめを刺した・・・・・・」
「え・・・・・・?」
私が聞き返すと、ジニーは大きく顔をゆがませ、息を吐いた。
「あたしには彼を止めることはできなかったわ。
言うことを聞くくらいしか、あたしにできることはなかった。
でも、彼がいた日記は、もう抜け殻・・・・・・彼はもういないのよ、。」
彼、とジニーが言うたびに、胸が大きく軋んだ。
もういない?
彼が・・・・・・トムが?
あまりの衝撃の大きさに、何も言えずにいたのだけれど、
ジニーは畳み掛けるように言葉を続ける。
「彼はもういないわ、消えてしまったわ。もう二度と彼には逢えない・・・・・・」
ジニーの細い声が、呪文のように心に染みて全身を傷つけた。
信じられなかった。
だって、私は彼にまだ好きと言っていないのに!
彼に生きる意味を与えてあげたかったのに・・・・・・トムがもうこの世にいないなんて!!
「ねえ・・・・・・ねえ、?」
涙はこぼれなかった。
全身が干からびてしまったように。
こんなに悲しいのに、全身が悲しみを表すことを拒否している。
認めなくない、彼がもういないなんて・・・・・・
「、お願い、聞いて。」
ジニーが私の顔を見上げる。
輝きをたたえた瞳で。
何かを決意するような、強い光が、私を射った。
「トムはもういないわ。だけど・・・・・・だけど、。それでもあなたはトムを愛している?
彼がどんな罪を犯していても、愛することができる・・・・・・?」
ジニーの言葉は、まるで誓いを促す神父のようだった。
私は迷わずにうなずいた。
私の恋は、終わっていなかったから。
たとえトムがいなくても。
「好きだわ、トムがずっと好きだわ。
彼がどんな罪人でも、二度と逢えなくても、私はこの恋を終わらせることなんかできないもの。」
私の言葉に、ジニーはほんの少し微笑み、ゆっくりと歩を進めた。
自分の机の横に膝をつく。
「ジニー?」
目当てはごみ箱のようだった。
無造作に手を突っ込み・・・・・・そっと、宝物のように取り出したのは、
くしゃくしゃに丸められた紙切れだった。
それを大事そうに机に置き、丁寧に皺を伸ばす。
黄ばんだ紙には見覚えがあった。
本から破りとった跡があるその紙は・・・・・・あの、トムの日記の1ページだ。
「あたしが破り捨てた、トムの日記よ。よかった・・・・・・まだ捨てられてなくて。」
ジニーがほっとしたように微笑んだ。
私はジニーが胸に抱くその紙切れを凝視する。
「トムの日記そのものは死んでしまったけれど、
もしかしたら・・・・・・もしかしたら、これだけは・・・・・・、確かめる勇気はある?」
愚問だと思った。
だって、私はもうこの世にはいないトムを愛してゆくと誓ったのだから。
たとえこの日記の一部の彼すらも死んでいたとしても、私の気持ちは変わらない。
それでも・・・・・・いざ、それを確かめるとなると手が震えた。
ジニーに断って、彼女の机にあったインク瓶の蓋を開ける。
羽ペンを手にして、ジニーからたった一枚の希望を受け取ったその時・・・・・・
ふわりと優しい風が吹いた。
「・・・・・・トム?」
優しい、優しいそよ風が私を取り巻く。
私は目を閉じた。
『・・・・・・』
風の中で、愛しい声が聞こえた気がした。
世界でいちばん、聞きたい声。
私は、いつのまにか泣いていた。
トムが死んだと思った時ですら流れなかった涙が、頬を濡らす。
逢いたい。
やっぱりあなたに逢いたいよ、トム。
「、・・・・・・!!」
ジニーは小さく悲鳴をあげたようだった。
「・・・トム、だわ・・・・・・!」
「え・・・・・・?」
閉じられた目を開ける・・・・・・信じられない光景が、私の前にあった。
トムが、立っていたのだ。
ううん、立っていたと言うより、まるで魔法のように、
幻のように、向こうの風景を透かしたトムが宙に浮いている。
『・・・・・・』
「ト、トム・・・・・・」
『逢いたかった、逢いたかったんだ・・・・・・よかった、最後にもう一度君に逢えて・・・・・・』
「消えなかったのね、良かった・・・・・・!!」
私がほっと息をつくと、トムは困ったように微笑み、首を横に振った。
『・・・・・・いいや、これが僕の最後の力。大部分は、あのハリー・ポッターに滅ぼされた。
僕の記憶の世界すら、ほとんど残ってはいないよ・・・・・・君に逢えるのも、これが最後だろう。
この世界と日記とをつなげる力すら、僕にはもう残っていない・・・・・・』
「そんな・・・・・・」
「・・・・・・それでいいの? これが最後で?」
ジニーの声。
トムの向こうにジニーが透けていた。
彼女は真剣な顔でたたずんでいる。
トムをじっと凝視していた。
トムはふわりとジニーを振り返り、微笑した。
『こうして会うのは・・・・・・2度目だね、ジニー?』
ジニーはなんと答えるべきか迷っているようだった。
ただ、じっと彼を見上げている。
『・・・・・・僕は謝らないよ、ジニー。
君を利用したことも、傷つけたことも。僕には僕の、信じるべき道があったのだから。』
淡々とした口調に、ジニーはわずかに肩をすくめた。
ええ、とうなずく。
「謝らなくてもいいわ。そんな必要ないもの。あたしは・・・・・・あなたに操られていただけ。
ハリーにも、そう伝えたから、だから・・・・・・謝らないで。」
泣くのを我慢している、と思った。
そうだ・・・・・・ジニーも、私と同じ。
彼に恋をしているのだから。
ジニーは驚くほど気丈だった。
涙をこらえて、微笑んでさえ見せたのだ。
「どうせもう、あたしはたくさんの秘密を抱えているんだもの。
もうひとつ秘密を持ったところで同じだわ・・・・・・次第だけれど。」
「・・・・・・どういうこと?」
ジニーは少し迷うように視線を泳がせ、それから私を見た。
「が望むなら、トムと一緒に行けばいいわ。あたしが、あなたたちを守ってあげるから・・・」
私は目を見開いた。
トムと、一緒にいられる?
あの時の止まった世界で・・・・・・ずっと一緒にいられるの?
「ママにもらった宝石箱があるの。お兄ちゃんたちの誰も知らない、あたしだけの秘密の宝石箱。
2人が望むなら、あたしはこの紙切れを宝箱に入れて、大事にしまっておくわ。
誰にも見つからないように、2人を守るわ・・・・・・」
ジニーの言葉に、トムは怪訝そうな顔をしている。
なぜ彼女がこんなことを言い出すのか、わからないようだった。
裏切りが発覚したジニーが、それでも自分を憎んでいないことが理解できないらしい。
たぶん彼は自分が愛されているなんて、想像もしていないに違いない。
私もジニーも、厄介な相手を好きになったものだわ。
気がつくと、私は微笑んでいた。
迷うことなんかない。
トムに「生きる意味」をあげようとしたあの日から、私の気持ちは決まっていたんだもの。
どこだっていいの、あなたがいる場所なら。
この世界のことを思い浮かべても、自分でも驚くほど未練がなかった。
それくらい、あなたが好きなのだと・・・・・・私は痛いほど思い知っていたのだ。
「トム・・・・・・?」
『・・・・・・うん?』
事態を飲み込めないでいるらしいトムが、あいまいに言葉を返してくる。
私はひとつ息をつき、ようやく彼に打ち明けた。
「私ね、あなたが好きなの。」
『・・・・・・何だって?』
案の定、トムは理解できない、というような顔をする。
「あなたと、ずっと一緒にいたいのよ。
前にあなたに言いかけたのも、このことなの。あなたが生きてゆく理由に、なりたいの・・・・・・」
『まさか・・・・・・、僕と一緒に来たって、得なことなど一つもないんだよ。
そんなこと、正気の沙汰とは思えない。
僕は君が想像もつかない、恐ろしいことをしたんだ。君は知らないだけなんだ・・・・・・』
うめくように言って、トムは眉を歪ませた。
苦しげに細められた瞳には、深い孤独の闇が見えた気がした。
『駄目だ、・・・・・・僕にはもう絶望しか残っていない・・・・・・
お願いだから、そんな眩しい光を見せないで・・・・・・
希望の光を手に入れたいなんて、二度と望めるはずもないのに・・・・・・!!』
「罪だとか絶望だとか、そんなのどうでもいいわ!私はただ、あなたの傍にいれたらいい!!
それだけで、あなたと一緒に行く理由には十分だわ・・・・・・!!
トム・・・・・・お願い、私を連れて行って。二度と離れるのは嫌・・・・・・」
必死で叫ぶと、トムは途方にくれたような瞳を私に向けた。
『本当に・・・?罪と血にまみれた僕のために、この世界も未来も、全て捨てると言うの・・・?』
「あなたがそう望んでくれるなら。」
『望まないわけがない。だって、僕は・・・・・・君に恋をしているんだから。』
私は微笑った。
涙があふれて、うまく笑えたかどうかはわからないけれど。
「ジニー・・・・・・私、行くね?」
「ええ・・・・・・」
ジニーに日記の切れ端を託すと、とうとう彼女は泣き出した。
「・・・・・・幸せで、いてね。あたしには何もできないけど・・・・・・
でも、せめて、2人のいる場所を守るから・・・・・・」
ぽろぽろとこぼれる涙をぬぐおうともせず、ジニーは何度も幸せでいて、と繰り返した。
私はただうなずいて、トムを見上げる。
トムは無言で、私に手を差し出した。
私は、もはや何を迷う必要もなく、その手を取ったのだ。
「この気持ちが何なのか、、君は知ってる?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、トムが言う。
私は素知らぬふりで彼を振り返る。
「さあね?他人の気持ちなんて、わかるわけがないじゃない?」
するとトムはくすくすと笑って私を抱きしめた。
温かい腕が、そっと私を包み込む。
耳元で、優しい声。
「僕は知ってる。これはね・・・恋だよ。が好きでたまらない、かけがえのない気持ち。」
好きだよ、ともう一度ささやいて、トムは私を強く抱きしめた。
私は目をつぶる。
彼の温かさだけが、私の世界を取り巻いた。
ずっと傍にいるわ。
私はあなたが生きていく理由。
そして、あなたは私が生きていく理由。
罪も絶望も届かない、誰にも邪魔できない場所で、そっと想いを確かめながら生きてゆくの。
そう・・・・・・永遠という名の、1ページの楽園で。