『彼』との出会いは、ほんの偶然。

偶然で運命の。私の恋。




「この気持ちは何と言うんだろう。、君は知ってる?」

「ええ?」




私は笑って背後を振り返った。

私を見つめる、穏やかな瞳。

端正な美貌の青年が、私の返事を待っている。



トム・リドル。

私の好きな人。




「他人の気持ちなんてわかるわけないでしょ。」




トムはわずかに首をかしげて、そうだね、とつぶやいた。




「今、どんな気持ちなの?」




からかうように聞くと、トムはあいまいに首を振った。

考えるように口元に手を持ってゆく。




「よくわからない・・・・・・苦しいような、温かいような、変な感じだよ。
君と一緒にいるとそう感じるんだ。
僕の心に温度があるなんて知らなかった。温かいなんて感じるのは初めてなんだ・・・・・・」




不思議そうに、しきりに首をかしげるトム。

もしかしたら、と思ったけど、私は答えを言うことはできなかった。

もしかしたら、それは恋じゃないかしら。

あなたは恋をしてるんじゃないかしら。



そうだったらいいのに。

だって私もあなたといると、苦しくて温かい、変な気持ちになる。

それは恋だと、私ははっきりと感じることができるのに。

あなたは私に恋してるのよ、なんて、とてもじゃないけど口にすることはできなかった。




にもわからない?君ならわかるかと思ったんだけど。
・・・・・・ああ、違うな。わかってほしいんだ、君には。
なら・・・・・・どんな僕を知っても、こうやって傍にいてくれる気がしたから。」




本当の僕は酷く醜いけれど。

でも君には傍にいて欲しい。

そうささやいて、トムは私から目をそらした。

私は無言で、彼の手に自分の手を重ねた。




わずかなぬくもり。




トムはほっとしたように微笑った。

私は微笑み返しながら、彼と初めて会った日のことを思い出す。

時が止まったこの部屋で、恋に落ちた日のことを。







「ジニー?」




寮の部屋には誰もいなかった。

談話室にも燃えるような赤毛をした少女の姿は見えなかったというのに。

いったい彼女は・・・・・・ジニー・ウィーズリーはどこへ行ったのだろう?



ジニーは私と同級生のパーシー・ウィーズリーの妹で、

多少引っ込み思案なところのある、でも優しくて素直なかわいい子だ。

何かと忙しい(らしい)パーシーに、気にかけてやってくれ、と頼まれた私は、

妹ができたような気分で彼女をかわいがっていた。



最近のジニーは何かにひどく悩んでいるようで、

気晴らしになるかと彼女が見たがっていたマグルの雑誌を持ってきたのに。

もう1度ため息をついて自分の部屋に戻ろうとした時、ふとジニーの机に目が止まった。

なんだろう・・・・・・妙に古い、色のくすんだ本が机にぽつんと置かれている。



ジニーがいつも気にしているように、

彼女の持ち物には何人もいるお兄さんたちからのお下がりが多い。

だから古いものが多いのはわかっているのだけど・・・

その本は、他の持ち物に比べてさらに古く汚れていて、ジニーには似合わないような気がする。



私は何とはなしにその本の表紙をめくり、横にあったインク瓶を盛大に倒してしまった。

開かれたページのほとんどを、インクの黒い染みが染める。

あわててハンカチを取り出した私は、ギクリとその手を止めた。

黄ばんだページの向こうに、黒い染みが吸い込まれてゆく。

インクはどんどん消えてゆき・・・・・・何事もなかったかのようにもとの姿を取り戻した。

インク瓶はからっぽになっていて、確かに本の上に倒したはずだというのに!

唖然とする私の目に、飛び込んできたもの。

それはインクの染みではなく、神経質そうな、綺麗な文字だった。




『酷いことをするな。君は誰?ジニーではないね?』




私は驚いて、ただその文字を見つめる。

並んだアルファベットは焦れたようにふるりと震え、ページに溶けていった。

すぐに代わりの文字が浮かび出る。




『僕はトム・リドルです。君の名前は?』




私はジニーのペン立てに羽ペンを見つけたが、少し迷った。

この本(日記帳のようだった)にどういう魔法がかけられているのか知らないが、

これは他人の持ち物だ。

勝手に開いただけでも悪いことなのに、返事をしてもいいものかしら?

私が迷っている間に、また文字が溶けてゆく。

あわてて羽ペンを手にとる。

空にしてしまったインク瓶の底を擦るようにしてインクをつけ、ページにペンを走らせた。




「私はです。インクをこぼしてしまってごめんなさい。
インクはページの中に吸い込まれたようだけど、あなたを汚してしまった?」




私はドキドキする胸を押さえた。

すぐに私の書いた文字は吸い込まれ、私のとは明らかに違う筆跡が浮かび上がる。




『心配してくれてありがとう。大丈夫です。
それより、ねえ君、少し話をしませんか?もし、君に暇があればだけれど。』




今度は、少しも迷わなかった。

私の手はまっすぐに日記帳に伸び、「Yes」と返事をしていた。

次の瞬間、私はまばゆいばかりの光に包まれて思わず目をつぶり・・・・・・

気がついた時には50年前のホグワーツに立っていたのだ。










「あの時はね、ほんの暇つぶしのつもりだったんだ。
君にここが見つけられるはずがなかったから。
少しの間、ホグワーツの記憶の中を迷わせて・・・・・・
泣きでもしたら元の場所に戻してやろうと思ってた。」

「悪趣味ね。」

「・・・・・・そうだね。」




トムは少し顔を赤くする。




「でも、君はすぐにここを見つけたね。50年前のスリザリン寮で僕が使っていた部屋、
ここ以外は単なる記憶の映像に過ぎない。この部屋に縛られている僕自身を・・・・・・
、君はすぐに見つけてくれた。」




それは本当に不思議だった。

迷路のようなホグワーツの中で、私は難なく本当のトムがいる部屋を見つけ出したのだ。



たぶん、私の魔力が彼のそれに引き合ったのだと思ってる。

寮の部屋を開けた時、トムは本当に驚いた顔をしていた。

見開かれた瞳がとても綺麗で・・・・・・一目惚れだったのだ。

でもそれを言うのはできなくて、私は照れ隠しにつん、とそっぽを向いた。




「あの時のあなたの顔、首をしめられた蛇みたいだったわ。」

「何だいそれ、酷いな。だって本当にビックリしたんだよ。
僕の心にたどり着ける人がいようとは思わなかったから。」




くすくすとトムが笑う。

私はその横顔をそっと盗み見た。

綺麗な横顔。

ここがあなたの心なら、私はあなたの心の中にいるのね。

・・・・・・あのね、他人の物に勝手に触るなんて、いつもの私だったら絶対しないの。

なのにどうしてだろう。

その本に限っては、吸い込まれるように表紙をめくってしまったのは。




偶然か、必然か。




・・・・・・運命だったって、信じていてもいい?

ねぇ、トム?




「ああ、ジニーが帰ってくる・・・・・・」




つぶやくようなトムの声。

それが、いつものお別れの合図だった。




「ねぇ、トム・・・・・・」




しっ、とトムがささやき、人差し指を私の唇にあてる。

私は驚いて彼の顔を見上げた。




・・・・・・君に教えたとおり、僕はただの記憶だ。
トム・リドルという、50年前に存在した16歳の人間の記憶。
僕がこの日記の中に封印された理由はただ一つの目的のためなんだよ。
つまり、その目的のためだけに僕は存在するんだ。」

「うん・・・・・・?」




私の声は不安に揺れていた。

トムは何を言おうとしているんだろう。

それはジニーに関係しているのだろうか。

ジニーがどんどん憔悴していっていることと、関係してるのだろうか。




「でも、わからなくなってきた・・・・・・、君と出会って、こんなふうにすごしていると。
何もかも忘れて君といたいって、そう思うんだ。」




トムの手が、ふわりと私の髪に触れた。

ためらうようにゆっくりと髪をなでる。

そっと、大事なものをいとおしむように。




「でも、そんなふうに思うのは許されないことだ。
僕がここに存在している理由はたったひとつの目的のためだというのに、
それを忘れて、なお存在していけるとは思えない・・・・・・」

「・・・・・・消えてしまうの、トム?」

「そうじゃないよ。僕はただの記憶だから、
この本が損なわれない限りは消えることはないけれど・・・・・・
存在理由もなく、ただ生きてゆくだけの生なんて、価値があるのかな。
僕がここに存在するのは、すべきことがあるからなのに、それを無視してただ生きて、
それでいいのだろうか。」

「その、目的っていうものに、ジニーが関わっているのね?
ねぇ、トム・・・・・・ジニーは目に見えて衰弱しているわ。
ひどく悩んでいるようなの。それなのに何も話してはくれない・・・・・・
あなたとジニーが何か危ないことしているというなら、
私は・・・・・・その目的を忘れてほしいって、そう思うわ・・・・・・」




トムの手がぴたりと止まった。

私は優しい手が止まってしまったことを残念に思う。




「忘れろと言うの、?僕に意味もなくただ存在しろと?」




トムは微笑った。

弱々しく、儚げな微笑みだった。

私たちは今、とてつもなく大事な話をしてる。

それなのに、私は不謹慎にもトムの笑みにドキリとした。

慌てて首を横に振る。




「生きてゆくことに意味とか理由とか、そんなものたいして必要とは思わないけど・・・だけど。」

「うん?」




頬が赤くなるのがわかる。

トムの瞳に見つめられ、心臓が焼き切れそうに鼓動した。




「だけど、あなたがどうしてもって言うなら、
私はあなたが生きてゆく理由をあげられるかもしれない。」




トムがわずかに首をかしげる。




・・・・・・?」




言わなくちゃ。

あなたが好きだって言わなくちゃ。

好きだから一緒にいてほしいって、あなたが必要なんだって・・・・・・

でも、言えなかった。

身体が後ろに引っ張られるような強い衝撃。



ああ、ジニーが部屋に戻ってきたんだわ。

私たちが会えるのは、ジニーがいない時だけだったから。

気がつけば、私は寮の部屋にいて・・・・・・ジニーが不思議そうに私を見上げていた。

ジニーの顔は気の毒なほどやつれていて、胸が痛んだ。










それから何ヶ月も、私はトムに会いに行くことができなかった。

ジニーは無防備に日記を机の上に置くことはなくなっていたし、

私のようなマグル出身者にとって、今のホグワーツは安全な場所ではなくなっていた。

スリザリンの継承者に襲われたと噂のコリン・マクービーや

ミセス・ノリス、首なしニックの姿を見ることはなかった。



監督生のパーシーは、この危機的状況にグリフィンドールは一丸となって対処せねばならない、

と演説をぶち、毎朝毎夕の点呼を日課とすることを提案した。

今朝も、楽しげにすら聞こえる大声で名簿を読みあげている。

まるで水を得た魚のようね。

ピンチに陥れば陥るほど、リーダーシップを取りたがる性格らしい。



ふと、私は今日の授業に必要な教科書を一冊、部屋に忘れてきてしまったことに気がついた。

まるで歌でも歌うように生徒の名前を読みあげ続けているパーシーに、

声をかけるのはためらわれて、私はこっそりと談話室を離れた。



なるべく急いで階段を駆け上がる。

やっと自分の部屋への入り口が見えてきた時、私は突然飛び出してきた黒い影にぶつかった。




「きゃあっ!」




危ないところで踏みとどまり、なんとか階段落ちは免れる。




「ご、ごめんなさ・・・・・・」




消え入りそうな声で謝ったのは、ジニーだった。

驚くほどに青い顔をしていて、思わず息をのむ。




「ジニー、大丈夫? どこかぶつけた?」




あわてて彼女を助け起こすと、ジニーはすがるように私の腕をつかんだ。

その手がぶるぶると震えている。




「ジニー?」

「どうしよう、どうしよう・・・・・・!あたし、どうすれば・・・・・・」

「ジニー、ジニー? 何のこと? 落ちついて・・・・・・」

「あ、あたし、捨てたのに、何ヶ月も前に捨てたのに!!どうしてハリーが・・・ああ、どうしよう!
もしも彼がハリーにすべてを話してしまったら・・・・・・」




ジニーには私の声が聞こえていないらしく、うわ言みたいにどうしよう、と繰り返す。




「どうしよう・・・・・・きっとハリーは日記の秘密に気づくわ、
賢い人だもの、きっとすぐに彼に気づくわ・・・・・・!
いいえ、もしかしたらもう気づいているもかもしれない!!
そしたら、ああ・・・・・・彼は話してしまったかしら。
あたしの秘密も、あたしが犯した恐ろしい罪も・・・・・・!!」




『彼』、『秘密』、『恐ろしい罪』・・・・・・

ジニーの唇からこぼれる言葉に、私はいても立ってもいられず、彼女の肩を揺さぶった。

ジニーの細い肩は何の抵抗もなく、頼りない人形のようで、不安感がいっそう募る。

ジニーの言う『彼』は間違いなくトムのことだろう。

急に、ここ何ヶ月もトムのもとを訪れなかったことが悔やまれた。

告白しようとしたのが失敗したから、避けていたのも事実だ。

どうしてそんなに臆病だったんだろう!?




「ジ、ジニー、トムがどうしたの?あなたはいったい、何をしてるの・・・・・・?」




ビクン、とジニーの身体が震えた。

ゆっくりと私を見上げる。




・・・・・・?」




まるで、今はじめて私に気づいたかのようなジニーの声。




「どうして、トムのこと知ってるの? あたし、にトムのこと話してないのに、どうして・・・・・・」

「・・・・・・そ、それは・・・・・・」

・・・・・・トムと話したことがあるの?彼のことを知ってるの?」




じっと私を見つめるジニーの瞳が、突然見開かれた。

まるで何かに気づいたように。




だったの・・・・・・?」

「え?」

「トムはずっとあたしの話を聞くばかりで、自分自身の話なんてしたことはなかったのに・・・・・・
たった一度だけ、あたしに尋ねたわ。ジニー、恋とはどんなものなのかって。」




今度は私が目を見開く番だった。




「あたし、その人のことを想うと苦しくて、でも温かくて優しい気持ちになるのって教えてあげた・・・
そしたらトムは、じゃあ僕は今恋をしているんだって、そう書いてきたのよ。
彼女のことを思い浮かべると、確かにそういう気持ちになるって・・・・・・!
あ、あたしのことじゃないって、そう思ったら、辛くて、苦しくて・・・あたし、あたし・・・・・・!!」

「ジニー!」




ジニーの瞳から、ぽろぽろと涙があふれて、床に吸い込まれてゆく。




「あたし、そのぺージを破り捨ててた。彼が恋をしているなんて、そんな話をあたしにするなんて、
我慢できなかったの・・・・・・それから、マートルのトイレに日記を捨てたわ・・・・・・!!」




しゃくりあげながらもジニーは懸命に言葉を紡ぎ、

とうとう我慢できなくなったのか、床に突っ伏すようにして泣き叫んだ。

私は・・・・・・ジニーの言葉を呆然と聞いていた。



捨てた?

あの日記を・・・・・・?
それなら、トムはいったいどうなってしまったんだろう・・・・・・ううん、ジニーが最初に言っていた。

ハリーがあの日記の秘密に気づいたらどうしようって。

どんな経緯でかわからないけれど、今日記を持っているのはハリー・ポッターに間違いない。




「取り、戻さなきゃ・・・・・・」




突然、ジニーは泣くのをやめ、ふらりと立ち上がった。

泣き腫らした目を何度か瞬かせ、頼りない足取りで歩き出す。




「ジ、ジニー、どこへ・・・・・・」




答えは返らなかった。

取り戻さなきゃ、ともう一度つぶやいて、ジニーはたった1人、階段を下りていった。

私は呆然としてしまい、取りに戻ったはずの教科書を忘れて・・・・・・

グリフィンドールに5点の減点をもたらしてしまったのだった。