・・・・・大きい手。
「可愛らしい手ですね。」
・・・・・低い声。
「細い首。」
「・・・・ねえ・・、」
「なんですか?」
八戒さんは、
「・・・・・八戒さんは簡単に人を裏切れるよね。」
「・・・そうですね。」
ザアアアアアアアア・・・・・
外が、泣いていた。
午後の喫茶店。快晴。
「私、八戒さん好きだなあーーー。優しいお兄さんって感じで。綺麗だし。」
由真は八戒さんに憧れている。
「うん・・・私も好き。」
そして、私も憧れていた。
「えー、いやーん、ライバル多しぃ〜〜〜〜?」
「え・・・ただの憧れだよ・・・・。」
「だあっ、じゃあ私が貰っていっちゃうもんねーーーー。」
「どうぞ・・・。」
私はちょっと戸惑った。
私ではない、他の誰かがあの人を何処かへ連れて行って
笑顔で『お幸せに』なんて言えない。
『どうぞ』と言ったけれど、これもはったりだ。
年も離れているから、憧れ、の方が格好がつくかもしれないが、
私は恋の気持ちで八戒さんが好きだった。
「なんて言うかあーーー、例えばね、このサンドイッチに譬えてみると
白身が私で黄身が八戒さん。こう、白身の私を黄身で優しく包んで美味しくしてくれるわけよ。」
由真は自分の卵サンドイッチを、はむ、と口で挟んだ。
「いや、由真、それは変な譬えだよ・・・。」
「えーー?そう?」
「う、うん。」
・・・確かに優しく包んでくれるかもしれないけれど。
「・・・・でも、中々腹黒い男よ、あれは。」
「へ・・・?」
「こら奈々―――――!!私の未来のダンナサマになんてことをーーー!!!」
「奈々ちゃん・・・?何言ってるの・・・?」
「だって見てたら解るじゃない。」
「わかんないわかんないわかんないーーー!!!
奈々!!アンタの頭ン中が全然わかんないーーー!!」
「私も腹黒そうには見えないけど・・・。」
「見えるわよ。例えば、このアイスクリームに譬えるとチョコチップがあんた等で
バニラアイスが八戒さん。甘い味で騙して人を観察してるのよ。楽しそうに。」
そう言って奈々ちゃんは自分のチョコチップアイスクリームを口に運んだ。
「それにしてもはいいわよねーーー、一番八戒さんと仲良いもんねーーー。
あーん、なんで私じゃないんだあーーー!!!ずるーーいっ。」
「・・・いや、仲良いっていうか、なんていうか・・・。」
「・・・でも、今日も八戒さんトコ行くんでしょ?」
「え!!何それ!!なんで奈々がそんなこと知ってんの!?
しかもめ、抜け駆けしやがったなーーーー!」
「別に抜け駆けとかそんなんじゃないよおーーー。」
「・・・そういうのを世間では抜け駆けって言うのよ。」
「そんなあーーー、奈々ちゃんまで・・・。」
・・・とかなんとか言いながらも私はもちろん嬉しかった。
なんせ思いを寄せている人のトコロへ行けるのだから。
八戒さんは軽い気持ちで誘ったのだろうが、
それでも私はいいと思った。
こうやって、ほぼ毎日会えるのだから。なんて幸せなんだろう。
不思議と心が落ち着く。
・・・例えば、
このコーヒーに譬えると、コーヒーが私でミルクが八戒さん。私の濁った物思いを
八戒さんがやわらかくしてくれた。
「・・・・・・・・・・・?」
はっとした。
「へ・・・。」
「アンタ、どうしたのよ。ボケッとして。」
「え!!あ、いや・・・。私も・・・変なことを・・・。」
「は?」
おなじく、午後のスーパーマーケット。快晴。
「あ、特売がやってますね。」
「・・・・お兄さん大丈夫?もう、主婦って感じよ?」
「あはは、そう言う悟浄も手に取った瞬間賞味期限なんか見て。」
「・・・賞味期限は基本中の基本だろ。」
猪八戒と沙悟浄は買い物をしていた。
「ところでよ、何作るわけ?」
「・・・さあて、何を作りましょうかねえ。」
「・・・決めてないのかよ・・・。」
「大丈夫ですよ、別に食事に誘ったわけじゃありませんし。」
「誘ったって・・・・お前誰か誘ったのか?」
「あれ?知りませんでした?」
「知るかよそんなん。・・・まさかちゃん?」
「知ってるじゃないですかあ。」
「・・・お前が誘ったっつたらソレしかねえだろ。」
「そうですか?」
「そうデス。」
沙悟浄はトマトをつかんだ。
「・・・・・ま、アレだな。このトマトがちゃんでお前が包丁だとすると、
包丁のお前に気に入られたトマトのちゃんは切られてドロドロの中身が出て終わりだな。」
そう言ってポイッとトマトを買い物カゴの中に入れた。
「・・・・・そんな無理矢理な譬え方しちゃダメですよ。」
「・・・そのニッコリとした笑顔が恐いんでない?」
「・・・何がですか?」
「・・・いや、別に。」
―――――しばらくの間。
「・・・この勢いだとカレーとサラダですかね。」
「カレー?」
「だってホラ。」
猪八戒はカゴを指す。
「ま、そうだけどよ、カレーなんざありきたりだろ〜〜〜〜〜。」
「・・・そうですか?」
「そうデス。わざわざ、お前ン家で食わなくてもいいだろ、それじゃ。」
「だから食事に誘ったんじゃないですってば。・・・それに絶対来ますよ。」
「・・・やっぱ包丁はまずかったな。」
「え?」
「つかめねえなーーー。このタマネギみたいによ、剥いでも剥いでも本性現さねえ。」
「・・・そんなことないですよ。いつかはこのタマネギも剥ぎきれなくなるんですから。」
「あっそ。」
―――――しばらく、話さず二人は商品をみていた。
突然、沙悟浄が思い出したように言う。
「結局、お前はどうなわけ?」
「・・・僕ですか?」
「僕デスヨ?」
「・・・可愛いと思いますよ?」
「へえ・・・・。」
「攫っていきたいですね。・・・いえ、イヤと言っても連れていきます。」
「・・・お前、ホントイイ性格。」
―――――例えば、
貴女が光に浮かぶ太陽で、僕が闇に浮かぶ月ならば、
人が見て美しいと思うのはどちらでしょうね?
「うわあ・・・・っ、カレーだあっ・・・!!」
夜。私は八戒さんの家にいる。
「あはは。そんなに喜んでもらえると嬉しいですねえ。」
「私も嬉しいですーーー。カレー大好物です!!」
・・・ううん、ここに居られることが嬉しい。
私はカレーをスプーンで掬い口へ運んだ。
「おいしい〜〜〜〜〜。」
「・・・そうですか。悟浄には在り来たりだって散々言われましたけどね。」
「悟浄さんが?」
「ええ。」
「・・・だけど、すいません。後片付けは私やります。」
「あはは。ありがとうございます。」
八戒さんはニッコリ笑った。・・・優しい。
と、
ザアアアアアア・・・・・
「あ、雨ですね。」
「え!?やだ、傘持って来てない・・・。」
「僕のよければ貸すしますよ?」
「・・・っ、本当ですか・・・!?」
「はい。」
「よかったあ・・・。ありがとうございます。」
「いいえ、いいえ。」
外は雨だけど、この中、・・・この家の中だけは
白かった。澄んで見えた。
きっと、周りがどんなであろうとも此処だけは澄んでいるのだろうと思った。
「うーーー・・・美味しかったあ。」
そんなこんなしているうちに、すっかり食べ終わってしまった。
「はい、よく食べました。」
「あはは。じゃあ私お皿洗いますね。」
私は自分のお皿と八戒さんのお皿を持って台所へ行った。
「僕も何か手伝いましょうか?」
八戒さんが私の隣りへ来る。
「大丈夫ですよ。」
「そうですか?女性がいると助かりますねえ。
・・・あ、そこ滑り易くなってますから気を付けてくださいね。」
「あっ、はい。・・・あ、スポンジはどこですか?」
私は、ヒタ、と足を一歩動かした。
・・・その瞬間、
「うひゃあ!?」
私は足を滑らせた。
―――――そして
「おっと!」
私は八戒さんに抱きついてしまった。
短かったのだろう、なのに私には物凄く長い沈黙に思えた。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
私の肩を八戒さんがぐっと握っている。
・・・・・大きい手。
「可愛らしい手ですね。」
突然、手に視線を感じた。
・ ・・・・低い声。
耳元で聴こえるから余計。
「細い首。」
肩から離れた手が私の首へとまわった。
八戒さんがニヤリと笑う。
お皿のカチャン、という音が私に恐怖を与えた。
静かな部屋。
耳が曇る。
・・・――――キーン・・・・・
耳鳴り。
周りの音が解らない。頭でしか音が聴けない。
・・・頭に、なにか・・・・・
『中々腹黒い男よ、あれは。』
『甘い味で騙して人を観察してるのよ。楽しそうに。』
『優しく包んで。』
『私の濁った物思いを。』
ザアアアアアアアア・・・・・
外が、泣いていた。
私も泣いた。
澄んでいたはずの、
この部屋の床が落ちたアレで汚れた。
・・・澄んでいたはずが、
澄んでいない。
・・・そうだ。ちっとも、最初から、
私は何を勘違いしていたんだろう。
自惚れて、上の方ばかり見て、
地面の闇に気が付かなかった。
地面の闇が私の足を腐らせてゆく。
・・・・・腐食。
・・・・・それではこの人は・・・・・。
「いや・・・っ。」
私は八戒さんを突き放した。
「・・・あ・・・・・。」
「どうしたんですか?」
恐怖のあまり、子供の様に思った事を口に出す。
「・・・・ねえ・・、」
「なんですか?」
八戒さんは、
「・・・八戒さんは簡単に人を裏切れるよね。」
「・・・そうですね。」
あっさりしている。
・・・そうか、今まで私はこの人に騙されていたんだ。
甘い味で騙して、私を観察していたんだ。
ああ、なんだ。
・・・・・バッカみたい。
『ドロドロの中身が出ておわりだな。』
『つかめねえなーーー。このタマネギみたいによ、』
「・・・・本当に、悟浄の言った通りになっちゃいましたね。」
猪八戒にはまだニヤリが残っていた。
それが、さらにの恐怖を煽る。
涙は止まったものの、流れきっていない粒がの頬を伝っていった。
「・・・ですが、まだ終わりじゃありませんからね。」
今度はクス、と笑う。
猪八戒はに手を伸ばす。
は抵抗しない。・・・抵抗できない。
ふい、
と猪八戒の笑みが消えた。
「・・・・・・・・・・・・・・。」
先ほどの手がを覆う。
猪八戒はゆっくり目を閉じた。
「僕は、貴女だけは裏切りませんよ。」
も口を開く。
「信じ・・・・られません・・・・・。」
「どうしてですか。」
「・・・だって・・・、さっき言ったじゃないですか。人を簡単に裏切れるって。
・・・それに、すでに私は騙されてたんです。」
「・・・・。」
「私は・・・・、八戒さん・・・・、」
「いつ僕が貴女を騙しましたか?」
心が、静止した。
――――私は、何を勘違いしていたんだろう。
「いつ僕が?」
八戒さんは繰り返した。
本当だ、いつ私が騙されたんだろう。
裏切る・・・・・何を?
一体何を?
・・・私だけは裏切られない。
・・・・言われた時あんなに嬉しかったもの。
私はやっぱりこの人が好きだ。ダメだ。
「貴女が、僕を騙してみせて下さいよ。」
展開が早すぎて、考えがまとまらない――――・・・・。
午後の喫茶店。快晴。
「ふ〜ん、おめでとう。」
「あ・・・、ありがとう・・・・・。」
「由真がどんな反応をするか楽しみだわ。」
「奈々ちゃん・・・・、そんな恐い事をいわないでえ。」
「あはは。んで、なんでそんなことになったのよ。」
「え・・・え〜と・・・、」
「何?」
「か・・・、賭けをしたの・・・・。」
「賭け?珍しいわね。」
「・・・そうだね。」
おなじく、午後のスーパーマーケット。快晴。
「賭け?」
「ええ。」
「そりゃ、不公平だろーーー。」
「そうでもありませんよ?」
「は?」
「いやだなあ、僕、きっと負けますね。」
――――例えば、
この恋に譬えてみると、僕は貴女に落とされるでしょう。
・・・そんなこと、君は知らない。