眼から溢れる涙も、
既に感覚のない指先も、
痙攣し出した太腿も、
ここにさよならって言うべきなのかなって、
考える要素にしかならなかった。
「・・・・・・・っ」
がふと眼を醒ませば、
見た覚えのない天井が広がっていた。
全くもって機能しない脳には慣れている。
自分には、自分の部屋でさよならを言った筈だ。
くくりつけた縄代わりのマフラーの痕と、
大嫌いな冷風を間近で受け続けて冷えた肩。
手には、お気に入りだったくたくたのぬいぐるみ。
「あら、起きたの」
「・・・・・・・・・・・」
「団長!例の子目覚めてるよ!」
「私、ココアでも温めてきます」
「お願いね。シズク」
瞬きを数度繰り返して、
は呆然とその風景を眺めていた。
知ってる。識ってる。
でも・・・・・・・。
「何してるの?」
「・・・・・」
「ちょっと!?」
不意に立ち上がって、
ふらふらと自分達の横を通り過ぎようとする少女の肩に手をかける。
何故だろう、自分達を見ているはずのその瞳に、
自分達が映っていない感じがしたのは。
「いい。パクノダ、手を離せ」
「でも団長」
「逃げはしないだろう」
逃げられはしないだろうの間違いではないかと、
は頭によぎった考えに驚いた。
脳の活動が始まったのだ。
嗚呼でも、向こうでもそうだったかな。
椅子に促されて座らされたは、
輪郭がぼやける程度に、向かいに座った彼を見ていた。
今の彼女には、それが精一杯だ。
「質問に答えろ」
オールバックの彼を見つつ、こくんと頷いた。
「何故あのような場所にいた」
ゆっくりと開きかけて、開いたまま止まる。
「聞いているのか?」
こくり。
「何故答えない」
また、止まる。
「話せないのか」
首をかしげた少女に、少しばかり苛立たしさを感じて、
首筋にナイフを突きつけた。
数秒遅れて見上げてくるその眼。
怖いくらいの闇。
「答えなければ切るぞ?」
じゃあどうして、そのままにしておいてくれなかったのだ。
当初の目的は達せられた。
あの世界から、毎日を考えなければならないあの世界からにはさよなら出来た。
けれどまた、この世界もきっと、考えなければならないのだろう。
眼をそらした少女。
少しばかりきつく押し当てたナイフ。
首筋からつうっと紅い筋が滴る。
それでもから、感情の変化は見て取れない。
自分の頭から出てきた少しばかりの仮説。
気まぐれな拾い物だ。
捨てればいい。
欲しいわけじゃなかった。
めんどうくさい。
そう思おうとしても、クロロの中で渦巻く今までにない好奇心。
それはもう、否と言えないほどに自分の中で膨れ上がってきている。
ナイフを首から取り去って、また少女の前に腰掛けると、
1つ深呼吸をして、また質問を続けた。
「話せないのか?」
ふるふる。
「話せなくなったのか?」
こくり。
「この場所に見覚えは?」
ふるふる。
「この文字、読めるか?」
ふるふる。
このような一問一答を1時間ほど続けてわかったこと。
彼女がこの土地・・・・
いや、世界と称した方が良いかもしれないほど何も判っていない事、
感情は持っているのかもしれないが言葉を忘れている事。
それから・・・・・。
「俺達の事を知っているな?」
こくり。
「憎んでいるのか?」
ふるふる。
「嫌っているのか?」
・・・・・・。
「好きではないのか」
こくり。
拾い物をした。
例えるならば、そう、異世界からの訪問者らしき少女。
カガミのような瞳の少女。
自分の姿を映してみたい。
欲しいのに、手に入らないものは初めてで、
とてもとても興味がわいているのは確かだったから、
保護という名目で、この場所に拘束する事にした。
言葉を発する必要性を感じない。
次の日、こいつを蜘蛛の補欠団員にすると、
幾人もの前で紹介された後、
飛ばされてきた殺気だろうモノに、あたしは動じず立っていた。
だって、何も感じないから。
見知った人ひとヒト。
好きじゃない。
出来れば傍にいたくない。
でもそれ以上に、
動くのがやはり億劫だったから、その場に居た。
「団長、そのオンナ、なんの役に立つか」
「役にはたたんだろうな」
「じゃあ、ワタシ認めないね」
「認める認めないは勝手だが、入団云々は俺に一任された筈だな?」
「ち」
「今日の任務は言っていた通り行う」
クロロが他の団員に指示を出している間、
はぼーっと五十音表を見つめていた。
自分のいた世界とは違う、けれど知っている文字。
覚えようか覚えまいか。
ただ久しぶりに感じた好奇心は、止められなかった。
「お前は留守番だ。コルトピ、ボノレノフと一緒にな」
こくん。
ぽてぽてと、言われた名の人の元へと歩く。
驚いたように目を見開いたクロロのことなど、
全く持って気にしていなかったのだけれど。
「何故、そいつ等が・・」
言いかけてやめた問い。
WHYの質問に彼女が答えられないのを思い出したからだ。
だから、彼女の口から滑り落ちた、とてもとても小さい声に、
驚いたのだけれど。
「知ってる・・・・」