後の祭り。
後悔先に立たず。
「、悪いですけどこっちも」
「あ、もうすぐこれ終わるんで大丈夫ですよ」
「そうですか。お願いします」
大量のドレッシングを製作した後に渡されたお皿。
それに野菜を盛っていきながら、
は眠気と戦っていた。
シャンクスの船に乗って早幾月。
はたと気づいてしまったのはつい1週間前。
厨房の片隅で舟をこぎながら・・・
がっしゃん。
「あっ・・!」
「!怪我は!?」
「それよりお皿が・・・すみません」
「それよりじゃありませんよ!真っ青じゃないですか!!」
「そうですか?」
「そうだな」
ひょいっと担ぎ上げられて、手に持っていたボールは取り上げられて、
気づけば副船長の肩で揺れているの姿を、
呆然と見つめるコックたちと、苦笑するザインが目に映る。
それさえもおぼろげになりつつあるのだけれど。
「副船長?」
「寝てないだろう」
「えっと・・・・」
「休め」
「医務室には・・」
「俺の部屋だ」
一つ溜息をついて、厨房からを連れ出したベックマンは、
好奇の目で見られる甲板を、何の躊躇もなく横切り、
医務室の前を通り抜け、
自らのベッドへを寝かせた。
隈は器用に隠しているのだろが、
隠しきれない顔色の悪さ。
「何日寝てない」
「ちゃんと寝てま・・」
「医務室で見てもらうか?」
「7日です」
「。何があったか知らんが、とにかく寝ろ」
「・・・無理です」
愛し子は、我侭。
けれども、ここまで体調が悪化しては、何が何でも寝かせなくてはならない。
ベックマンの中には、変な使命感が生まれ始めていた。
気づかなかったわけじゃない。
むしろ、気が気でなかった。
けれども知られたくないのだろうの姿も、
副船長という立場から、1人のクルーを特別扱いしていいのかなど、
今ほど自分の理性を呪った事はない。
「理由を言え。俺の納得する理由だったら起きててもいい」
「・・・・・・・笑いますよ?」
「笑うかどうかは俺が決める」
「・・・怖いんです」
「は?」
「目を閉じて、起きたら自分の世界に戻っていそうで」
帰りたくない。
ここにいたい。
あやふやな自分の身体が、
影があるのか、存在しているのか。
皆が自分にあまり気づいてくれないのは、ここにいない証拠では?
夜毎透き通っていく幻を見て、自分の身体を包み込む。
「朝は平気です。ザインさんや、私に声をかけてくれる人がいるから。
夜になって1人になると、ダメです。もしかしたら全部夢だったのかもしれないって。
考えれば考えるほど不安になるのは分かってるんですけど」
布団の中で、震えているのが目に見えて分かる。
疲れていても、消え入りそうな意識の中でも、
自分が在れる厨房の手伝いと、ベックマンへの珈琲は、欠かしたことがなかった。
それをしなければ、本当にそこから消えてしまいそうで。
「」
「はい」
「寝ろ」
「いくら副船長の命令でもそれはできません」
「ここにいてやる」
「え?」
「文句ねぇだろ。異世界とやらに戻る時は俺も一緒だ」
言った後に、まるで告白だな。
と、ベックマンが思ったことは然り。
ぎしりと小さなベッドに自分ももぐりこんで、
華奢な身体を抱きしめた。
どんどん真っ赤になっていくが面白くて、
首に顔なぞ埋めてやる。
「ふっ副船長!!??」
「お前が倒れたら、誰が俺に珈琲を持ってくるんだ?」
「誰でも・・・いいと思うんですけど」
「むさい男が持ってきても疲れが取れねぇだろ?」
「ルリさんとか・・?」
「犯されたいか?」
「すみません」
間髪いれずに謝って、
厚い胸板に顔をうずめた。
ぴくりと反応したのはベックマンの方で。
大変なお預け状態を自分で作ってしまったことに、今頃気づいたようだ。
はすでに、まどろみ状態。
目を閉じてしまうのも時間の問題であろう。
「消えてしまうかもしれない」
聞かなければ良かったと思ったが、もう遅い。
ルリの方は、全くもってそのような不安を口にしないから。
離したくない。
初めて見つけた、見ているだけで微笑むことの出来る人。
それが例え、自分より一回り年下の人間だとしても。
「」
名前を呼べば、身じろぎ。
おでこにキスをひとつ送って、もう一度抱きしめなおす。
夜は1人だと言っていた。
ルリは、考えたくないが、お頭の部屋。
夜眠るとき、いつもこうしてやろう。
勢いあまって襲わぬように、いまから精神統一の練習でもせなばならない。
その日から、
変な生活が始まった。
クルーにばれぬ様に、夜こそこそと行き来するの姿。
少しばかり元気になった模様だ。
だが、ベックマンとていたずらに副船長をしているわけではない。
どうしても仕事が終わらない日があるというもの。
「悪いな・・・」
「お世話になってるのはこっちの方です。1日くらい寝なくても平気ですよ」
「終わったら呼ぶ。甲板ででも待ってろ」
「はい」
いつもの珈琲に、今夜は珈琲ゼリーがついている。
変な組み合わせだと思ったんですけど。
とはにかんだを押し倒さなかった自分を褒めた。
が甲板への階段を昇りきるまで見つめていたベックマンは、
本当に彼女が透き通っているような感覚を覚える。
考えてはいけない。
彼女がそう言っていた筈なのに。
は甲板に出、夜風に当たりながら船尾へと歩を進めた。
暗い暗い海は、変わらずそこに佇んでいる。
「今日は御一人ですか」
「ザインさん」
「隣に座っても」
「あっはい」
ふわりと腰を下ろすコックたちのドンは、
船の作った道筋を見ながら、に問うた。
「ベンのこと、どう思っているのか、聞いても構いませんか?」
「え?」
「あれでも私の旧友ですから」
「はあ・・・」
「気づいているのでしょう?彼の気持ちに」
気づかなければ良かった。
「朝はただの上司と部下。夜になれば傍にいて落ち着ける存在」
「好きでも嫌いでもないと?」
「好きです。嫌いではありません」
「それじゃあ・・」
「愛しているかと聞かれれば、分かりませんと答えます」
後方で聞いているであろう旧友に信号を送る。
まだ聞く気かと。
答えは返ってこぬまま、の言葉が続いた。
「私、向こうの世界にいる時に酷い鬱状態になったことがあったんです」
「え?」
「自殺しようともしました」
「なっ!」
「それからです。好き嫌いと、愛憎の区別がつかなくなったのは」
「・・・・・・・」
「境がないんです。言葉の力の強弱に。だから、全て満遍なく事を済まそうとする」
不安と死にたいの境もあんまりないんですよ。
と、悲しげに笑ったに、ザインはどう返してよいのか分からなかった。
彼が愛してくれていても、
自分にはそれに答えるだけの言葉も想いもない。
驕りと笑われても仕方ないけれど、
誰だって、自ら茨の道に進みたくはないもの。
ゆらゆらと揺れる。
留まる事を知らない、空気のように。
存在自体あるのは知ってる。
けれど見えない。触れられない。
空気を通して、
暗い海を見続ける6つの瞳・・・・・。