奇跡とは、常識では考えられない神秘的な出来事である。

ざぱりざぱりと打ち付ける波打ち際で、は目を醒ました。

痛む全身に呻き声を上げつつ、なんとか木にもたれかかり、

辺りを見回すと、何もない。

本当に何もない。

街がありそうな港も、家も。




「ふぅ」




骨が折れていないだけましというものだろうか。

しばらく休んだは、ゆっくりと立ち上がり、

海沿いに歩き出した。




「奇跡・・・としかいいようがないよねぇ」




日が高く上っていることから、

海に飛び込んだ事件は、昨日か一昨日か。

今頃あの船はどうなっているであろう。

帆を1つ失くし、船長に精神的ダメージを与えてしまったあの船は。




「ん〜〜・・・・。私ってかなりヤな奴だ」




今思えば、とてもとても性格の曲がった物言いや、

幕引きをしてしまったのではないかと思ってしまう。

何せ形振り構ってられないほど、結構に傷付いていたりしたから。




「出るのは天使か悪魔かってね」




波をパシャパシャといわせながら歩けど、何も見えてはこないまま、

時間だけが悪戯に過ぎているように感じていた

時を図るものは太陽だけという、曖昧な世界だ。

仕方ない。



の体力が回復し(人間業ではないことはこの際スルー)、

周りの様子に気が配れるくらい気力も回復したころ、

の目に小さなコテージが映った。

1人住まい用か、本当に小さい。

くるりと裏まで回ってみれば、上等なグランドピアノ。




「すご・・・」




お邪魔しますと声をかけて、ピアノへと手を這わす。

ことりと蓋を開け、鍵盤をポンッと押せば、調律された綺麗な音色。

このコテージの持ち主の物であろう事は、簡単に想像出来たけれども、

扉を入る前にあったのだから、弾いてもいい・・・・・・かもしれない。




「気が短い人じゃありませんように」




そう言って、紡ぎ出した曲は、

向こうの世界での好きだったもの。

自分で勝手に歌詞を添えて歌ったりもしていた。

懐かしさが身にしみる。

帰りたいとは、やはり思わないけれど。




「やっぱり暗い曲が多いよねぇ」




持ち曲をいくつか弾いて、

無造作に1つの鍵盤を叩く。

最後に残った1曲だけが、明るくゆったりした調べ。

本当は、シャンクスをイメージした曲だったけれど、

今となっては、副船長を思い出されもする。





海薫る波の音

風の吹くままに進んでゆくわ

海薫る風の音

貴方の髪を弄んで去ってゆく妖精達も

貴方の唄に酔って奔り続けてるこの船も



鳴り止まぬ宴の夜

ほら 聞こえて来るのはオルフェの詩

その瞳閉じるころ

未来(アス)希望(ユメ) 魅せる星達の囁き






上手いとは言えない、ただの自己満足に、

は少し苦笑して、ピアノの蓋を閉じようとした。




「何者だ」




それは、誰かの手によって拒まれたのだけれど。

びくりとはねた肩。

ゆっくりと振り向けば、そこには金目の鷹。




「・・・・・・すみません」

「何に対して謝罪する」

「勝手に人様の土地に入り込んで、人様のものに触れたから」

「常識を弁えているのかいないのか判らぬな」

「一応、弁えてるつもりですけど」

「その酷い形でか?」

「これは、嵐の海に飛び込んだからで」

「何故」

「ん〜・・・自己満足の幕引きのため・・・・です」

「面白い」

「そうですか?」




知らず知らず敬語になってしまうのは、仕方ないこと。

ここまで威圧してくれるものだから。

に興味を持ったミホークは、その腕を掴んだままコテージ内へと移動した。

唯一ある革張りのソファーに腰をおろさせ、救急箱を取り出す。

無造作にしまわれたそれには、包帯と、絆創膏と、消毒液のみ。




「座れ」

「はっはい」




自分がこのような冷静沈着とうたわれる者を苦手としていた事など、

綺麗すっぱり抜け落ちているかのようだ。

ふと、その切れ長の瞳の向こうに映った副船長。

ぽたりぽたりと滴が零れる。

判らなかったのか、判りたくなかったのか、どっちであろう。



脚の手当てをするミホークの髪に弾んで、床に落ちた滴は、

数秒と経たぬ間に吸い込まれていった。

それを見て驚いたのはミホークだ。




「なぜ泣く」

「・・・っ」

「なぜ泣く」




同じ問い。

答えは・・・・・・判りたくない。

愛してしまった。

離れて気づいた。

もう・・・遅い。




「好きなだけココにいろ。泊まり代は朝のピアノだ」

「ふっ・・・・えっく」

「女の涙は好かん」

「ごめっ・・・なさっい」




止まらないからどうしようもない。

ふうわりと香った海の匂い。

気付けば鷹の目に抱かれた自分に驚くしかなかった。

女の涙を好かないのは、どうしていいか判らないから。


声を上げて泣き喚いた。

この世界に来て初めての体験。

張り詰めていた何かと、わざと張り詰めさせていた何か。

両方が一気に切れてしまって、

溢れる涙はとどまるところを知らない。


横抱きにされたことも、ベッドに下ろされたことも、

記憶の片隅にぼんやりと残るだけ。

いつの間に眠ったのか、月が真上に昇るころ、意識を失ったような気がする。

明日の朝日と共に拝むのは、鷹の目の意外に小さな頭と、泣き腫らした自分の瞳。