溜息をつくしかない状況。
その辺にごろごろ転がっているものではない筈なのだが、
は今、ぷかりぷかりと波に身を任せる船の上で、
呆然と満月を見上げていた。
「なんだ・・・・これ?」
とにかくそれしか言えなくて、
見慣れた鍔広の帽子が転がっている事も、
そこらで飛び跳ねている巨大な魚達が、
大好きなコミックに出てきていた事も、気付くことなく。
とにかく、状況を把握しようと脳みそが動きだしたのは、
それから数分が経ってからだった。
「しっかりしましょう。まずは状況把握。と」
お邪魔しますと声をかけて、船内への扉を開く。
上にはキッチンと、小さな机。
下は寝室とお風呂とトイレ。
「・・・・・・・・・汚な」
なんというか、某空中都市映画の飛行船を思い出してしまうくらい汚い。
はキレイ好き・・・かもしれない。
汚いよりは片付いていた方がいい。
もしかしたら、多少の期間でもお世話になるかもしれない船。
片付けようと、手当たり次第、とりあえず洗い物。
長女だからとか、大学から早く帰ってくることが多かったからとか、
なにかと家事をすることが多かったは、
掃除、洗濯、炊事。
3大家事はこなせた。
それがせめてもの救いだったのかもしれない。
しっかりしようといったものの、やはり不安は拭えないらしい。
そりゃあ、大学生とはいえ、まだ18の少女。
トンネルを抜ければ其処は不思議な町でしたなんて。
自分の知っている街ならまだしも、もはや土の上ですらない。
キッチンと冷蔵庫、机の上を片付け終わり、
寝室の床が3分の2顔を出した頃、
はびくりとかたまった。
固まらざるを得なかった。
圧し掛かってくる威圧感と、体験したことのない恐怖。
「何をしている」
低い声が響いた。
「えっと・・・気付いたらこの船にいて」
「質問に答えろ」
「だったら最後まで聞いてよね!」
「ほう」
「状況把握したくて中に入ったら、あまりにも汚かったから片付けてた。
行く当てもない。ましてや海の上だから、次の島くらいまで乗せてもらいたかったし」
「恩着せがましいと思わんのか?」
「どうでもいいけど、殺気だかなんだか仕舞ってくれない?」
ふっと軽くなった身体。
は、やっとこさ振り向いて、
夏祭りですくわれた金魚のように、口の開閉を繰り返すしかなかった。
金色の瞳が、背負われた刀が、
胸元の開いた珍しい服が、その人物を誰だか思い知らせていたから。
「ジュラキュール・ミホーク・・・・?嘘。え?」
「次の島までだ」
翻されたマントの裾を、はしっと掴んでしまったのは、
悪いと思うけれども、
致し方なかったと済ませられるものだろう。
つんのめらなかったのは、流石鷹の目と言ったところか。
「貴様・・・死にたいのか」
「ごっごめん!貴方ホントにミホーク?」
「愚問」
「・・・・・もっと几帳面な人だと思ってた」
「本当に死にたいようだな」
「ちょっ!大きい方の刀出さなくたっていいでしょう!!」
「・・・・・何故、これが大ものだと判る」
平常心平常心。
は自分に語り続け、
異世界だとか、自分で言ってて虚しくなるような説明を、たどたどしくも終えた頃、
ミホークは既に酒瓶を2つ開け終わっていた。
「なかなか面白い」
「・・・・なんか機嫌イイね」
「近頃見なかったよい気質の剣豪に会ったからな。お前は運が良い」
「そっか」
グッドタイミングとは、この事をいうのだろう。
もう1本酒瓶を煽ろうとするミホークを置いて、立ち上がった。
寝室の片づけがまだ3分の1残っている。
「どこへ行く」
「貴方の寝室。もう少しで片付け終わるから」
ここまでくれば、女は度胸といわんばかりに接してみた。
自分の下手すりゃ3倍の年月を生きてきた者に。
それでなくとも、言い訳や作り話は通じない。
船下に降りていけば、ついてくる足音。
振り向かなくとも、誰かなんてわかる。
自分とあの男しか乗っていないのだから。
視線を気にせず片付け始めただが、どうも落ち着かない。
扉の前に立たれて凝視されていれば当たり前の事なのだが。
着々と作業を進めながら、
漫画の住人といえど、結構本気で好いていた者が、
ここまで整理整頓に無頓着だったとは。
と、かなり落ち込んでいたりする。
は典型的なA型気質と言って良い女の子だから。
ミホークはいつの間にかシャワー室に入り、悠々と癒しの時を過ごしている。
一度溜息をついて、片付いた部屋を見渡したは、
満足のいく顔で笑っていた。
久しぶりに、大掛かりな掃除をしたからかもしれない。
「主も風呂に入れ」
「着替えないし、いいよ」
「これを羽織ればいい」
「えっ、っちょ・・まっ」
ぐいっと手を引かれて、無理矢理にシャワー室へ押し込まれ、
ぱたんと扉の閉まる音。
これを羽織ればいいとミホークが渡したのは、
彼のものであろう大きなTシャツで。
扉の前に座っているのであろう影に、心の中で悪態をついた。
扉の前で自らの刀を愛でながら、
ミホークはシャワーの音を心地よいとさえ思いはじめていた。
初めての道連れ。
気丈な娘だ。
最初は殺してやろうとも思ったが、
片付いた部屋やキッチンをみて思いとどまった。
恩着せがましいと口にしながら、そんなものは少しも抱いていないのは判っていたし。
「おもしろい」
「あがったから出して」
こつこつと頭上で聞こえる音に、重い腰を上げて、ベッドへと腰を沈めた。
ミホークの渡したシャツと、今まで来ていたバギーパンツ。
次の島までと言ったが、
ミホークは降ろす気などさらさらなかった。
今日は、珍しい者によく会う。
「来い」
「はい?」
「来いと言っている」
「狭いでしょ。甲板で適当に寝るから」
「来い。3度目だ」
自分の隣を指し示しながら、
年齢不詳の鷹の目が、自分を手招きしている構図。
恐ろしい。
シャワーを浴びて、自分が疲れていることに気付いたは、
渋々、鷹の目の隣に収まった。
必然なのか、背中から腰に回された腕に、びくり。
「セクハラ」
「なんだ?」
「・・・・もう、なんでもない」
「寝ろ」
「はいはい」
凄い船に行き着いてしまったと気付いたのは、
もう、日付が変わろうとしていた時刻。