「おかえり」
此方と彼方の境目で、いつも彼女は迎えてくれた。
モノノ怪を切ることに、
やはり抵抗があるのだろうか。
それは違うと、もう、半月前に解決している。
彼女と旅路を共にするようになって、
既に一月の時が流れたのだから。
「あの子の捜し物は、命、だったんだね」
「良く、ご存じで」
「なんとなく、表の染物屋さんの息子さんが怪しいかな・・・ってさ」
「そりゃあ、素晴らしい観察眼をお持ちだ」
「それ以上の導くモノを持ってる癖に」
女将さん、でも、神主様、でもなくなった今、
彼女を呼ぶ術は一つたりともなかった。
ただの、道連れ。
こちらから、話しかけることはない。
「お宿を一晩、御願いしたいのですが」
「一部屋ですか?」
「・・・・・ええ」
ただの道連れにしては、
親しく、見えるのだろうか。
それでなくとも、目立つ容姿の薬売りと共にいれば、
色々な意味で視線を受け取る事などしばしば。
頬を染める番頭の、うら若き娘を見て思う。
「ごゆるりと」
ぱたんと閉まった障子の向こうで、
踵を返すことを躊躇う雰囲気が感じ取れた。
「可愛い子だね」
「十四、五の女子にしては、稚児らしさが抜け切れていない」
「お薬さんに惚れたんでしょう。
恋をすると、女の子は幼くなるモノなんだから」
「それはそれは、有り難いことで」
「こんな本、売ってるなんて知ったら」
春を記した小冊子を、ぱらぱらと捲って笑う。
薬の整理にと、箱の中身をばらまいて、
その拍子に、出てしまっていたのだろう。
一月という時間は、呼び名を変えるのには十分、
なのだろうか。
心、を変えるには・・・・。
「うっかり、うっかり」
「試してみたことあるの?」
「というと?」
「ありそうね。ない方が変」
「褒め言葉と取りますよ?」
「御自由に。でも本当に。道ばたの女がほっときそうにないから」
それは、事実で。
彼女が道連れとなる前までは、
よく、そのような女に声を掛けられてはいた。
自分も人であったことがあるモノ。
欲を押さえきれぬ時には、快楽を金で買ったものだ。
「それでも、お薬さんは覚えてないんでしょ?」
少し、どきりとした。
顔など勿論、
どのように転がして、
どのように開いて、
どのように融けたのか。
一時の想い出に、縁を感じる必要なしと。
「お前は良いね。いつもお薬さんに必要とされてる」
懐いた天秤を、膝に肩に胸元に、転がして。
まるで、自分は、誰にも必要とされていないかのように。
試した。
自意識過剰に。
私が必要でしょうと、高見で笑って。
けれど、周りを見れば、ただただ空しいだけだった。
彼等通りに出来上がっていた、その日の自分。
別の場所へ行けば、別の日の自分。
絶望しても、失望しても、それでも、
嫌われたくなかったのは、自分。
「剣も、薬道具も、春本も、モノノ怪、も」
その中のどれかになれるとしたら、
モノノ怪だろうなと、ふと考えていた。
窓の向こうに見える、霧深かった彼方。
近づいてくる気配も感じず、
身体中で踊る天秤に気を取られて。
気付けば塞がっていたのは、己の唇。