「おかえり」
「ああ」
「ご飯は?」
「いらない」
ばんっ。
と力いっぱい閉めた扉が激しい音を立てた。
嗚呼、苛々する。
どすどすと、無駄に音を立ててリビングまでたどり着けば、
これまた勢いよく鞄を放り投げ、ソファに沈み込んだ。
八つ当たりだ。
色々と重なる事はあるが、今日は一段とひどかった。
分かっていても、コントロール出来る人間など、いない。
舌打ちをする。
今日はもう、何も見たくない。
「春秋」
「・・・・」
「ホットミルク、置いておくから。良かったら飲んでね」
散らかしてしまったカバンの中身や、
無造作に脱いだコートや靴を揃えて、
そっと、目の前に置かれた湯気の立つマグカップ。
「お疲れ様」
額に送られたキスと、そっと自分を包むぬくもり。
「どうしたの?」
「もう少し、このまま」
「勿論」
無音の時を、ぬくもりと共に享受する。
何があったのとは、は聞かない。
自分に興味が無いわけではないことは、もう、分かっているのだ。
吐きだしたいなら吐きだすだろう。
そうでなければ、呑みこむなり、消化するなりするだろう。
それが、彼女の優しさで、愛情。
「最近の若いのは本当に礼儀の一つもわきまえないのか」
「春秋だって若いじゃない」
「学生って意味だよ」
少しむっとして答えれば、
ゴメンね。
と、頭を撫でられる。
それで安心しきっている事も、怒りがゆるやかになってきている事も、
相当彼女に惚れこんでいる証拠だと、
東はの腕の中で、苦笑した。
「分かってる。昔ほど、上手に失敗させてもらえなくなったものね」
「そう・・・・だな」
「手のかかる子でも居たの?」
「かかるなんてもんじゃない。介護でもしてるみたいだった」
「お疲れ様」
もう一度、額に送られたキスを、唇へと強請る。
困ったように笑いながら、それでも啄ばむようなキスが降って来た。
「明日はゆっくりしましょ?折角のお休みだもの」
「映画に行く約束だっただろ?」
「春秋が疲れてるなら家でゆっくりしたって良いわよ?」
「いや、俺が行きたいんだ」
「分かった」
「その代わり、今日は一緒に風呂に入ろう」
「なんの代わりなのか全然分からないけれど」
「良いだろう?」
「仕方ないわね」
「単純な映画だったけど、映像がすごく綺麗だったわ」
「つくりこんでたな」
感想を言い合いながら、腕を取り、街を歩く。
この何気ない時間が幸せなのだ。
明日はまた、忙しい日々に身を投じなければならない。
「俺はやっぱり、こっちの方が好きだな」
「何の話?」
「の髪の話」
「映画の話をしてたんじゃなかった?」
職場ではアップにしている髪を下ろし、数倍色気を増した恋人。
本当に、愛おしいと思う。
「キス、したくなった。って言ったらどうする?」
「ここじゃ、ダメよ?」
「我慢できない」
「狙撃手の子達が見たら、吃驚するような東春秋」
「それはの方だろう?」
「誰も気づきやしないわよ」
職場とは、雰囲気も、髪形も、化粧も違う。
くすくすと笑いをこぼす恋人を、少し強くひいて、
唇を掠め取れば、こらっ。と、平手が飛んできた。